私、高根英博の架空のコレクションのコーナーを作ります。ホームページでは、こんなこともできると気づきました。究極はボルヘスの図書館のような。ここだけのコレクションが無料でつくれるかも。題して「高根コレクターの収集図鑑」。コレクションではなく、コレクターとしました。これは映画の「コレクター」を意識しています。よろしく…

 

タイトルの図像はもちろんデュシャンの「泉」。20世紀の最高傑作に選ばれた。ぶっちぎりで、そうではなかろうか。この作品が20世紀の初め(1917)に登場して以来、じわじわと20世紀を浸食していったのだ。好むと好まざるとはかかわりなく、人々を襲ったといえる。

 

ネットより引用(ウィキペディア)

「『泉』は2004年12月、世界の芸術をリードする500人に最もインパクトのある現代芸術の作品を5点選んでもらうという調査の結果、パブロ・ピカソの名作『アヴィニョンの娘たち』を抑えて堂々の1位を獲得した(ターナー賞のスポンサーとジンの製造会社が実施)。『泉』の発表後、20世紀の多くの芸術家は「デュシャン以降、何が制作できるのか」という命題に直面しており、それに応えた作品が多く生まれている」

 

「泉」は単なるエピソードなのだが、20世紀を通じて、徐々に評価を上げていったいったといえよう。シュールレアリズムや、戦後のレディメイドやミニマリズムやコセプチュアリズムの運動がおこったときに、「そういえば」と思い出され続けてきたエピソードだ。「泉」は禅問答に似ている。禅問答は何百年と問い直されている。日本では江戸時代の白隠の「片手の声を聴け」という問いがある。それを時代を経て大勢の人が真剣に考え続けているのだ。まともな答えで「仏の手と合わせて音を出す」なんていうと、一笑に付されて、考え直せといわれるのだ。西田幾多郎は「声なき声」をいい、岸首相が安保の時「声なき声」をいい、市民運動が「声なき声の会」をつくった。これも禅問答といえそうだ。奥が深いのだ。

 

でも、なぜ「泉」か。意訳らしいが、よくいった、と思う。

再度ネットより

「なお、『泉』という日本語題名については、誤訳であり、『噴水』と訳すべきであったという説もある。それは、レディ・メイドという性格上、泉という天然自然のものではなく人工人造のものとして扱うべきであるというのが理由である。また、デュシャンのエロティシズムに対する態度から決して性的なモノを拒否していたとは思われないというのがもうひとつ。そして、もしこの作品を邦題『噴水』として受容鑑賞するならば、その噴水のノズルは何か? それはこのオブジェの前に在ってしかるべき男性性器であり、すなわち作品名からしてダブルミーニングであるのではないかというのが誤訳説である」

「泉」が誤訳というのはおもしろい。でも「噴水」より「泉」でしょう。このコトバ自身が作品をつくっているから。シュールなイメージをつくっているから。訳による改変そのものが重要だから。「泉」で正解でしょう。もう文化ですから。

 

見る角度は、この方角が日常的ではある。図像の「ひっくりかえし」、これも重要な視点。こちらで「泉」とすると、また別のイメージになる。

「ひっくりかえし」は錯覚の単純な例で、ひっくりかえすだけで、像が別の見え方をする。  

 

 

 

続いて、これまた超有名なマレーヴィッチの作品。●作品を探しかが、いいのがみつからず。これも「泉」と同じころだ。これをロシア革命と直結すべきか、否か、重要な問題なのだが、本人はロシア革命に期待したらしい。また、であるがゆえに20世紀のNo.2であるのだ。

 

 

 

さて、ここからが高根コレクターの出番。マグリットのパロディか?本当はマレーヴィッチの黒い●にたいしてのであったのだが、残念!

 

 


続いて、唯研でも私責任編集の特集号の時のイラストを並べました。ちょっとアートしてみました。黒い●がテーマです。当然マレーヴィッチを意識しました。

とまあ、こんな調子でコレクターの世界が続きます。

 

 

 

高根図書設計

 

 

 

What's New!

 

 

お問合わせはこちらから