掲示板

コメント: 837
  • #837

    義積弘幸 (土曜日, 04 2月 2017 21:43)

    『唯研』138号の編集、お忙しいと思います。ご苦労様です。

  • #836

    やすいゆたか (日曜日, 28 8月 2016 19:50)

    マルクス主義は敗北・崩壊したか?―高根英博さんのコメントについて http://www46.atpages.jp/mzprometheus/wp-admin/post.php?post=16489&action=edit

  • #835

    高根英博 (火曜日, 11 8月 2015 11:17)

    全然書けてなくてすいません!
    最近は、Facebookに書き込んでいます。
    画像が簡単に入れられるので。
    よろしく!

    https://www.facebook.com/people/Hidehiro-Takane/100000236189270

  • #834

    高根英博 (土曜日, 21 3月 2015 01:49)

    「八紘一宇」という死んだ言葉がゾンビのごとく復活したとのこと。でも「日の丸」「君が代」というゾンビはすでに当たり前のように存在しているよ。ゾンビの国、ニッポンである。USJのゾンビは今や日本国中にいっぱいだ。

  • #833

    高根英博 (金曜日, 20 3月 2015 00:13)

    久しぶりに一筆。米朝が亡くなったとのニュース。落語は枝雀が亡くなってからあまり聴いていない。米朝も聴いてないなあ、何かで聴く機会が来るのか。枝雀の落語はいろいろ分析をした。そんなに熱心に聴いてなかったが。例えば落語の倫理観について。これがフィクションの虚構性が倫理観の要請を拒絶するように、落語の世界も犯罪ばなし、騙し、詐欺がやりたい放題で、勧善懲悪でないところが面白いと気づいた。その辺が枝雀はうまかったとの記憶がある。志ん生の「黄金餅」だったっけ、焼場で金をせしめる話。これも勧善懲悪無関係の話。驚いた。きっと米朝ネタでそんなのがあるだろうと予想している。

  • #832

    高根英博 (日曜日, 18 1月 2015 12:49)

    同じく…
    もう一曲、戸川純より、この曲も歴史的名曲!すごい!


    「諦念プシガンガ」
    Found on 玉姫様 album as track #2. This is the original version.
    空の彼方に浮かぶは雲
    嗚呼我が恋愛の名において
    その暴虐の仕打ちさえ
    もはやただ甘んじて許す
    牛のように豚のように殺してもいい
    いいのよ
    我一塊の肉塊なり
    ライラライラライ ライラライラライ
    我一塊の肉塊なり
    空に消えゆくお昼のドン
    嗚呼我が恋愛は終止せり
    あの泥流の恩讐が
    もはやただあとかたもなしや
    愕然とする間もなく腐敗し始める
    我一塊の肉塊なり
    ライラライラライ ライラライラライ
    我一塊の肉塊なり



    高根 英博 哲学的にいうと、サルトル的な対他存在?梯明秀の物質の哲学的概念の世界、そして針生のサドの眼か?

  • #831

    高根英博 (日曜日, 18 1月 2015 12:44)


    高根 英博
    1月13日 14:33 · 京都府 京都市 ·
    大阪哲学学校HPでのせた続き。「愛の賛歌」にからめて、さらに「夢の島少女」ともからめて…
    戸川純の「玉姫様」というアルバムにある曲より。素晴らしい歌詞!
    有名なカノンの曲で歌われる。ムシのオンナと読む。


     「蛹化の女」
     月光の白き林で
     木の根ほればせみの蛹のいくつも出て来し
     ああ
     それはあなたを思い過ぎて
     変わり果てた私の姿
     月光も凍てつく森で
     樹液すするあたしは虫の女
     いつの間にかあなたが
     私に気付く頃
     飴色の腹持つ
     虫と化した娘は
     不思議な草に寄生され
     飴色の背中に悲しみのくきが伸びる


    高根 英博 「夢の島少女」では鍵盤でドレミファと何気なく繰り返し弾いていくシーンからだんだんとカノンの基底曲へとオーバーラップして行くシーンがある、これは今でも出色のシーンだろう。黒澤明の「野良犬」だったかのラジオから流れる曲がいつのまにか映画自身の曲へ変わるシーン、よりも優れていないか。

  • #830

    高根英博 (日曜日, 18 1月 2015 12:41)

    下の文「長崎の原爆も入れているように思います。」に訂正。ついでに、原詩に忠実らしい美輪訳もあるようです。ピアフはこう歌って祖国だって裏切る歌を歌っていたんですね。これもすごい!


    美輪訳「愛の賛歌」全詩
    高く青い空が 頭の上に落ちて来たって
    この大地が割れて ひっくり返ったって
    世界中の どんな重要な出来事だって
    どうってこたぁありゃしない
    あなたの この愛の前には
    朝目が覚めた時あなたの温かい掌の下で
    あたしの体が愛にふるえている
    毎朝が愛に満たされている
    あたしにはそれだけで充分
    もしあんたが望むんだったら
    この金髪だって染めるわ
    もしあんたが望むんだったら
    世界の涯だってついて行くわ
    もしあんたが望むんだったら
    そんな宝石だって お月さまだって盗みに行くわ
    もしあんたが望むんだったら
    愛する祖国も友達もみんな裏切って見せるわ
    もしあんたが望むんだったら
    人々に笑われたってあたしは平気
    どんな恥ずかしいことだってやってのけるわ
    そしてやがて時が訪れて 死があたしから
    あんたを引き裂いたとしても それも平気よ
    だってあたしも必ず死ぬんですもの
    そして死んだ後でも二人は手に手を取って
    あのどこまでもどこまでも広がる 真っ青な空の
    青の中に座って永遠の愛を誓い合うのよ
    何の問題もない あの広々とした空の中で
    そして神様もそういうあたし達を
    永遠に祝福してくださるでしょう。



    高根 英博 レッドツェッペリンのサンキューという曲があるが「太陽が輝くのをやめて山が海へ崩れ落ちても…」愛し続けるというような歌詞だが、これも愛の賛歌か。高校生の時に聞いていた。
    1月13日

  • #829

    高根英博 (日曜日, 18 1月 2015 12:36)

    大阪哲学学校HPの掲示板にのせたものをこちらでも。
    紅白の美輪明宏の歌の歌詞をネットで調べたら、やっぱりすごい歌詞でした。津波を入れているようですが、長崎の原爆み入れているように思います。最初の歌詞。さらに愛する国や友も捨てられると歌っています。驚くべき歌詞です。原詩の意味もあるようです。すごい。


    美輪訳「愛の賛歌」紅白版
    高く碧(あお)い空が 落ちたとしても
    海が轟いて 押し寄せたとしても
    貴方がいるかぎり 私は恐れない
    愛する心に 恐れるものはない
    貴方が言うのなら この黒髪を何色にでも
    貴方が言うなら たとえ地の涯(は)て世界の涯ても
    貴方が言うなら どんな恥でも耐えしのびます
    貴方が言うなら 愛する国も友も捨てよう
    いつか人生が 貴方を奪っても
    この愛があれば それで幸福(しあわせ)
    死んでもあの空で 苦しみも何もなく
    永遠(とこしえ)に歌おう 愛を讃える歌
    ラララ・・・
    神よ結び給(たま)え 愛し合う我らを




    高根 英博 美輪のこの曲は希望の曲か、私はそうは思えない。負け惜しみの歌ではないか。原爆や津波から立ち直れない絶望を、逆の偽りのセリフで負け惜しみで歌っている歌であるべきだろう。美輪はそう歌っているのでは。
    1月13日 23:36 ·

  • #828

    高根英博 (火曜日, 09 12月 2014 19:31)

    森崎東の「女生きてます」シリーズも実家で。森崎は全共闘系で山田洋次は日共系とも。「女生きてます」シリーズも名作にはなりにくい。あまりに乱暴な設定で、観客がついてこないのが見え見え。しかし貴重な映画なのだ。これも何故見たか、は今後に。

  • #827

    高根英博 (火曜日, 09 12月 2014 19:25)

    岡本喜八の「血と砂」という映画を実家で見た。ここで書いたかな。それから岡本喜八のNHKのドキュメンタリーと。「血と砂」では、朝鮮人の従軍慰安婦が出てくる。団玲子が大熱演していた。本当に不思議な映画だった。映画として成功しているかは少々疑問だった。しかし確かに貴重な映画なのだ。なぜ、この映画をみたか、という理由があるがそれは今後に。

  • #826

    高根英博 (火曜日, 09 12月 2014 19:17)

    「卒業」は映画的にどうなのだろうか。あまりに印象的なラストの展開、それが強すぎるのでは。センセーショナル主義を感じるが。「タクシードライバー」もセンセーショナルな映画で、魂を揺さぶられるが、その印象が強すぎるのだ。「ディアハンター」はそれが成功しているが。「イージーライダー」と「真夜中のカーボーイ」は時代を映して一番評価できる。「俺たちに明日はない」もセンセーショナルで終わっていないか。「砂丘」は、アメリカ映画ではないか。

  • #825

    高根英博 (水曜日, 03 12月 2014 20:08)

    菅原文太は、亡くなってその輝きを知った感がある。私は見る目がないのだとつくづく感じる。亡くなってTVでの顔を見るとかなりインテリ顏だったことに気づいた。井上ひさしと同郷とか。徹子の部屋とか昼に高田宏治という脚本家が出ていて、その話とか面白かった。笠原和夫はもう亡くなっているのだ。深作欣二も。「仁義なき戦い」は深い映画なのだ。金子信雄もいないしこの映画の登場人物も多く亡くなっちゃった。菅原文太はNHKの自由民権の番組にも出てたようだ。また、息子がなくなりまた東北の地震で気落ちしたようだ。山田洋次の作品を蹴ったようだ。

  • #824

    高根英博 (金曜日, 21 11月 2014 09:13)

    マイクニコルズも亡くなったとか。映画「卒業」の監督だ。その後の作品は知らない。当時は「真夜中のカーボーイ」とか、いろいろとすごかった。私の青春映画で、同時代はみんなこの映画に感動したのだ。「エレーン!」だ。そしてサイモンガーファンクルだ。そして喜劇だったのがよかった。さらに女性関係の指南もよかった。健全なるアメリカだった。

  • #823

    高根英博 (金曜日, 21 11月 2014 09:01)

    羽仁未央が亡くなったとか。懐かしい名前だ。まだ若い。というか私の印象は、まだ赤ちゃんの頃。3、4歳くらい?羽仁進の映画「初恋地獄篇」の子供。主人公が、その子供にしっこをさせるのだが、それが糾弾されるという、たしかそんな設定だった。その子供が未央だったと記憶する。そんな子供が突然50歳になって亡くなったというニュースが入ってくるのだから、驚く。

  • #822

    高根英博 (火曜日, 28 10月 2014 08:04)

    源平じゃなくて原平でした。

  • #821

    高根英博 (火曜日, 28 10月 2014 07:44)

    「少年とナイフ」じゃなくて「少年とオブジェ」でした。

  • #820

    高根英博 (火曜日, 28 10月 2014 00:30)

    赤瀬川源平を追悼しよう。私はそんなに赤瀬川にシンパシーがある方ではないが、いつも尊敬はしていた。ただ、雑誌の「ガロ」でも南伸坊とコンビで面白主義をになっていたと思うがそのおふざけ主義は感心しなかった。トマソンでもそうだ。ウケ狙いが強すぎた。あのころもうちょっと硬派でいってくれたらもっと評価できるのだが。
    私が個人的に感銘したのが「少年とナイフ」かなり初期のエッセーではなかったか。永山則夫にもこだわっていた。身近に目にする、そして使う文房具の考察なのだ。これは真面目な考察ではなかったかと思う。で日常の不思議を語っていたと思う。内容は今忘れてしまっているが。そこで物の持つ不思議さや存在感をうまく語っていたように記憶する。物という発想は物質観であり素材感であり材質感である。マテリアルの問題だ。最後は水道の蛇口とそこからの水漏れを止めようとする布について語っている。それは自身のオネショ体験であり、永山則夫の体験でもあった、そんな議論だ。止めようとしても止められなかった自己から噴出する何かを表現していた。鮮烈な印象の本だった。その鮮烈さを赤瀬川に求めたが、それに匹敵する議論に出会うことはなかった、というのが私の体験であった。

  • #819

    高根英博 (日曜日, 19 10月 2014 00:23)

    この前、40年ぶり位でサタジッドレイの「大地のうた」を見た。DVDで。と「大河のうた」と。で、オプーのイラストも描いた。「どですかでん」のプールのある家のエピソードの子供と。その対比の画面を作った。すごく幸せな気分だった。今日は「二十四の瞳」のDVDを見た。先生のイラストを描くために。この映画は実質50年ぶり位ではないか。子供の時に見た。峰山劇場だったと思う。違うかな、松竹映画だ。全編泣いてしまった。映像の美しさも驚いた。「大地のうた」に負けていないカメラだ。小津安二郎より断然いい!高峰秀子がすごい!この映画と中国映画の「あの子を探して」と対比する。イラストでの対比も。お楽しみに。先生像の対比がすこぶる興味深い。

  • #818

    高根英博 (日曜日, 12 10月 2014 12:56)

    久々にこちらで。
    critic20.exblog.jp
    の、「世に倦む日日」のブログがおもしろい。この間結構追いかけている。韓国の産経への起訴について、それを支持するコメントを出している。そして韓国大統領のスキャンダル記事と従軍慰安婦問題とミン妃蹂躙事件を結びつけている。この見識はなかなかのもので評価したい。一般ジャーナリズムではこんな見識はまずでないだろうし、勇気ある指摘だ。
    それにしても最近の反韓、嫌韓のジャーナリズムのキャンペーンは凄まじい。それこそヘイトスピーチではないか。週刊誌は何かに媚びている、権力にも。そこからいっても「世に倦む日日」はすばらしい。丸山真男ファンから始まっている人。たのもしい。注目している人も多いよう。

  • #817

    義積弘幸 (火曜日, 12 8月 2014 00:25)

     確かに「鶴見の評伝は柳の全体像をつかむことができる」とありますね。いろいろな人の評伝を書いているのですね。ETV特集では、竹内好を問題にしていたようですが。私は、評伝のことも知らなかったし、「限界芸術論」も知りませんから、まったく鶴見についていけてないということでしょう。私は、高根さんのように引き出しが多くないし、一見異なるものを結びつけるのは苦手です。「それがあってのべ平連」というのは、よくわかりません。悪しからず。
     「声なき声の会」についても、ETV特集によります。だから、よく、知らないのです。自分の勉強不足を痛感します。鶴見俊輔という人は様々なことをしているのですね。
     昔、『戦時期日本の精神史』は読んだことは記憶していますが、たくさんの著作があるのに、それだけです。それも内容は忘れていますし。まあ、私なりに鶴見の興味深い本も読んで、膨らますことだと思いますが、私は狭く深くの追究しかできませんので、自分なりにやるしかありません。鶴見俊輔を評価していることは確かですが。

  • #816

    高根英博 (月曜日, 11 8月 2014 23:12)

    今回の私の鶴見論は、柳宗悦とつなげられたことにまさに悦んでいます。写生とからめて彼の民芸論と鶴見の限界芸術論と法然と現代芸術を無理やり結びつけました。この鶴見の世界も重要だと思いますし、それがあってのベ平連です。
    声なき声の会は、岸信介が言った、声なき声の国民の支持のことで、この声なき声は西田幾多郎の言葉からの引用です。で、ちなみに西田は江戸時代の禅僧白隠の「隻手の声」からきてて、さらにそれは鎌倉期の大燈につながります。

  • #815

    義積弘幸 (月曜日, 11 8月 2014 22:23)

     私は、大学時代、梶井基次郎の真似をして、寺町今出川あたりは、よく歩いていましたが、それから、西へ行くことはあまりなかったから、ほんやら洞を見つけることができなかったのでしょう。それに、私は「白樺」派でしたから。
     さて、『唯研・127号』鶴見俊輔特集は、良かったと思います。(古代史は、わかりませんでしたが)まず、読んだのは、高根さんの文章ですが、1~3までは、あまりピンときませんでしたが、「4 べ平連」は同感できました。これを、高根さんは「鶴見が仕掛けてリードし時代を画した運動」と書かれていますが、この「柔軟な非暴力の運動」は、日本の歴史において重要なものでしょう。それに後期、京都において高根さんは参加しておられるのですから、たいしたものです。その内情も知っておられるという意味でも。
     世界史的にみても、グラムシの「陣地戦」のようなものが実現したと言えるでしょう。また、これが「市民運動」であったということも。私は、さらに「声なき声」の運動もあげたいと思います。この運動では、小林トミさんという普通の女性が参加されていたことも印象に残っていますが。
     私は、鶴見を「知識人」としてみるのは当然ですが、「市民運動家」、デモを日本に根付かせた人としても評価したいと思います。反原発デモに参加し、その時に日本のデモを評価した柄谷行人が、なぜ、これらのデモを評価しなかったのか、私は不思議に思っています。
     木村さんの「哲学言語」に対する問題意識は、私が以前から思っていたことでしたし、新藤謙氏の論は、私も読んだことがある『戦時期日本の精神史』を中心に、鶴見の思想を俯瞰的にとらえていて、鶴見の思想を知るうえで貴重なものでしょう。
     神山睦美氏の論は、私が興味を持っているユダヤ教やキリスト教について、特に、フロイトの「モーセと一神教」を取り上げて考察したり、村上春樹の「象の消滅」と「沈黙」などを批判しながら、語られているのが印象に残っています。このように、この鶴見俊輔特集は、面白い論文が多くあり、成功だったと言えるでしょう。さらに、鶴見自身の詩と鈴木氏の謝辞が掲載されているのも良かったです。
     私は、これらとは、まったく関係がないのですが、鶴見の「眼力」に、そして、〈人民の記憶〉を大切にしようとするところに、彼の魅力を感じます。(ETV特集より)

  • #814

    高根英博 (月曜日, 11 8月 2014 22:05)

    鶴見論で語ったことに、京都民主府政の高校三原則のうちの小学区制と総合化のことがある。それは今で言う破綻した「ゆとり教育」の先駆けではないか。要はそれで私は育ってきたので、それに居直ることにしたのだ。総合化のなかの芸術教育において写生の考えがあったのではという提起だ。が、まあサボリの勧めでもある。今、京都文化という考えがあるが、京都のおっとりした文化は、高校三原則に寄るのではないか。今思いついた。

  • #813

    高根英博 (月曜日, 11 8月 2014 13:02)

    ほんやら洞は出町です、寺町今出川西入る北側、その向かいに昔、ニコニコ亭がありました。
    私のベ平連の政治犯釈放運動は南ベトナムの政治犯です。反戦市民運動として戦後民主主義の到達点がベ平連だと思います。鶴見俊輔論はそれが言いたいために書きました。

  • #812

    義積弘幸 (土曜日, 09 8月 2014 19:51)

    高根さま
    ほんやら洞というのは、どの辺にあるのですか。べ平連というのは、政治犯救援もしているわけで、ただの市民運動ではなく、さらにレベル?の高い運動のようですが、高根さんの評価はどうですか?

  • #811

    高根英博 (土曜日, 09 8月 2014 17:32)

    ほんやら洞の甲斐さんとFacebookで連絡ができるようになったので、そのへんのことでも書こうか。ほんやら洞へも久々に行ったが、懐かしかった。なぜか行きにくい店だ、聖地だから。北沢君、今の黒川創、さらにムン君もいた。行ったのは古く、74年くらいには行っている。ベ平連の政治犯救援という取り組みの作業があって、そこでみんなであった。さらにその後、中沢さんという、これも店員だったのだ、確か、人がほんやら洞印刷というのを、立ち上げていて、彼に発注をしたりした。その時は、中尾ハジメの住まいにも行った。有名人が多く集う空間だったため、恥ずかしがり屋のの私は、向かいのロック喫茶ニコニコ亭で引きこもりをしていた。大学生時代だ。

  • #810

    義積弘幸 (金曜日, 25 7月 2014)

    浦井は、吉田拓郎から入ったらしい。私も、最近、「私は今日まで生きてみました/時には誰かの力を借りて/時には誰かにしがみついて/私は今日まで生きてみました/そして今、私は思っています/これからもこうして生きていくだろうと」という歌詞が、よく浮かぶ。
    「拓郎ライブでディランを疑似体験」という章がある。浦沢は、高校の時、図書館で『ボブ・ディラン全詩集』を借りて、訳詩を書き写したという。「ライク・ア・ローリング・ストーン」という題名が出てくる。『ガロ』という雑誌の名前が出てくる。
     ディランは「わかるもの」?まず興味を持つことという話になる。と、すれば、私は、ディランを聴く、詩を読まないといけないと思う。まず、そういうことから始めよう。

  • #809

    義積弘幸 (金曜日, 25 7月 2014 21:24)

    ボブ・ディランのことを、井上陽水は「得体のしれない」存在と言っていた。私も、同じだ。歌詞が意味深だ。今、積読状態だった、浦沢直樹×和久井光司の『ディランを語ろう』を本棚から持ってきた。もう、彼は、70歳を越えている。60年代の激動の時代につくられた「風に吹かれて」の最後は「その答えは風に舞っている」だった。「トーク・セッション・パート1」の題名は「きみの歌 わかりにくいよ ボブ・ディラン」である。それでは、これからざっと読んでみよう。
    私の予備知識は、井上陽水が、彼を語ったことだけだ。

  • #808

    高根英博 (火曜日, 22 7月 2014 17:36)

    魚住さんのそのネットでの文より

    「デビューからわずか4年でディランは音楽史を一変させる曲を産み出す。『ライク・ア・ローリング・ストーン』の誕生である。
    いきなり響くドラムの炸裂音。オルガンの奏でる清冽なメロディに乗り、ディランが例のいがらっぽい声で歌い出す。
    昔、セレブで高慢だった娘が年老い、今は落ちぶれて路上に立つ。その孤独な姿が眼前にありありと浮かぶ。」

    『ライク・ア・ローリング・ストーン』って、そういう歌詞らしい。そうだったんだ。「エデンの東」のジェームスディーンのおかあさんのエピソードにもダブる。

  • #807

    高根英博 (火曜日, 22 7月 2014 17:25)

    魚住昭のネットでの文章から。ディランについて、

    「歌詞は親子の対話だ。青い目の息子が長い旅から戻ってきた。帰りを待ちわびていた親が、どこへ行ってたんだと問いかける。
    息子は旅先で見た、幻想的で不吉な光景を語る。彼は、悲しみの森や死の渚、それに赤ん坊を取り囲む狼の群れや、血まみれの男たちに出会ったと言い、最後にあえぐような声でこう漏らす。激しい、激しい雨が降ろうとしていたんだよ、と。

    キューバ危機。ケネディ暗殺。そして泥沼化していくベトナム戦争。血生臭い時代の空気を捉えた作品だ。米国のビート世代を代表する詩人アレン・ギンズバーグはインドから帰って、この曲を初めて聴き、泣いたそうだ。

    私も何十年ぶりかでCDを聴いたら「イッツ・ア・ハード」(激しい)と何度も繰り返した後に絞り出される「イッツ・ア・ハード・レイン・ア・ゴナ・フォール」(激しい雨が降ろうとしていた)の歌声に胸が詰まった。」

  • #806

    義積弘幸 (金曜日, 18 7月 2014 20:08)

    今、おそらく、ハリウッド映画「ゴジラ」、上映中ですよね。福知山の映画館で上映しているのだろうか。見たいと思っているが。
     『唯研・129号」の特集は「私の映画、この一本」ですね。まさに、高根さんにぴったり。私は、投稿しませんが(そのスペースで、ドストエフスキー論を掲載してほしいから)、皆さんは、どんな映画を選ぶのでしょうか。楽しみです。

  • #805

    高根英博 (火曜日, 15 7月 2014 09:22)

    Youtubeで「南京!南京!」を通して見た!途中で音がどっかへいってしまったが、字幕があったのでストーリーはわかった。この映画を日本人は見ることができるか。映画そのものの問題も含んでいる。映画の役割とは何かということだ。
    映画の出来は非常にいい、中国的なのもいいし、日本軍に沿って描かれているのもいい。そうでないと本当に悪魔の日本軍でしかないから。でも戦争そのもののメカニズムが表現されているかと言うと、そこは画面に流されているだけの印象があった、これは中国的感覚かもしれない。最後のシーンも印象的でそれはハリウッド的な解決、まあ安易な解決なのだが、映画的な正攻法で終わっていた。それでよかったと思う。最後の二人が寒山拾得に見たのはきっと私だけだろう。

  • #804

    高根英博 (火曜日, 15 7月 2014 09:08)

    河原温が亡くなったようだ。あまり話題にもなっていない。美術手帖の戦後のベストワン作品「浴室」を作った人。そんなことも紹介されていない。この絵は衝撃的だった。私も美術手帖のその特集を見なければ知らなかった人だ。コンセプチュアルアートの人だが、このコンセプチュアルアートをどう訳すか。概念芸術だと何のことやら。京都芸術大学がこれを構想設計としたが、この訳は気に入っていて私はそれを使っている。

  • #803

    高根英博 (水曜日, 09 7月 2014 21:40)

    伊福部昭についての番組を録画で見た。ゴジラの作曲者だ。伊福部なくしてゴジラはなかった。あらためて番組で曲を聴くが、いまだに新鮮、感動して涙が出た。音楽は素晴らしい。また、伊福部の子孫が出雲の神官の家計で、親の代で北海道に移ったというのも、あまりにドラマチックだった。さらに戦争中に、放射能汚染をしたというのも不思議な話だ。それでゴジラである。さらに音楽の演奏を担当したのが黒柳徹子のお父さんと言うからすごい!ゴジラの映画の中に神楽踊りのシーンがあって伊福部の音楽が使われているとか、高校生の実際のコーラスも撮影されて使われたようだ。そんなシーンはすっかり忘れているので驚いた。そのコーラスに参加した女性が、ゴジラで歌ったことを忘れていたのに、東北大震災で思い出したというのも印象深かった。ゴジラの音楽は、現代音楽のストラビンスキーの影響が大だが、その話がなかったのが残念だ。春の祭典とゴジラの曲はよく似ている。ゴジラの叫び声の音の話もすごかった。効果音、それだけで充分現代音楽だ。昨日リマスターのゴジラを放映していたようだが、見逃した。河内桃子を見たかったのだが。

  • #802

    高根英博 (火曜日, 08 7月 2014 00:46)

    木田元の著書には「カラマーゾフの兄弟」からのエピソードも語られている。イリューシャの犬を傷つけた話だ。それで罪を感じて寝たきりになって、最後は亡くなるのだが、この罪の意識は感動を覚える。埴谷も紹介しているので知っている話だ。南京虐殺と慰安婦への日本の罪の意識もこれ位に純粋に感じて欲しいものだが、残念ながら日本は居直ってしまっている。罪悪意識に乏しい民族のようだ。でも、戦後の文学において、松本清張にしろ水上勉にしろ主人公が堕ちる設定が多い、またそこに文学的美もある。自虐的と言われればそうだ。しかしその自虐的な無垢性こそ大事ではないか。高橋和巳もそんなテーマを持っていた。埴谷も。日本の価値観は命令に従うという恥の意識のみで、自覚的な内面の自由なり罪悪感に欠けているようだ。いわゆる恥の文化である。

  • #801

    高根英博 (月曜日, 07 7月 2014 23:19)

    南京虐殺そして従軍慰安婦、「南京!南京!」の映画には両方出てくるようだ。女優さんたちが出てきて、綺麗すぎてリアリティに欠けるが。こんな映画から南京事件の理解を日本はすべきだろう。南京虐殺も従軍慰安婦もあずかり知らずでは、日本の人間性が疑われる。日本人はそんな悪いことはしないという一点張りである。小林よしのりも。子供の発想である。でも日本のこの加害の忘却と無関心は分析の価値がある。木田元著岩波新書の「偶然性と運命」が手に入って見たが、「スタボローキンの告白」について書いてあった。あらためて書いてあることをみると、マトリョーシャの誘惑と彼女の自殺のエピソードがあるのだが、彼女は12歳という。それで自分が自殺の原因でありながら、責任を拒絶して忘れてしまうのだ。なぜか日本の虐殺と慰安婦の存在の忘却とダブった。退屈しのぎの犯罪、とその忘却、無関心それがスタボローキンの姿だ。まさに日本の戦争という犯罪の考え方と一緒ではないか。小説では、やがてスタボローキンは忘れていたものを思い出すのであるが。日本はいまだ思い出すことを拒絶している。

  • #800

    高根英博 (月曜日, 07 7月 2014 10:58)

    映画の「南京!南京!」が、youtubeで見られる!途中まで見たが、なかなかの出来で、ハリウッド映画のようでもあり、見てて不思議な気分になる。セリフに発声が独特でこれも不思議だ。南京については
    チャンイーモーがすでに撮っているようだ。イーストウッドも撮るような話もあったがどうなのだろう。ラーべの映画もあり、南京をテーマとした映画は今までも結構あるようだ。この映画での南京大虐殺を日本は拒否している。大虐殺はなかったから、デタラメの映画は見せないと。NHKでの評価も曖昧にしているような気がする、つまりNHKも被害の視点では描けても、加害の究明はできないのだ。ここはNHKも頑張ってほしい。前に放送で南京攻略のドキュメンタリーを見たことがあるが、結構がんばって虐殺を描いていた記憶がある。その動機を解明していたように記憶する。民放はそれこそ現在では、虐殺は言えなくなっている気がするが。抗議が激しいから。

  • #799

    高根英博 (月曜日, 07 7月 2014 08:18)

    湯川と武谷に続いて、鶴見俊輔が取り上げられるようだ。さらに、丸山真男、さらに誰だっけ?鶴見は特集組んだばかりだから唯研も注目して欲しいものだ。さて、NHKで鶴見はどう取り上げられるか、注目だ!

  • #798

    高根英博 (月曜日, 07 7月 2014 00:55)

    ゴジラの番組も録画で見た。もう神とか不動明王扱いだ。その流れで、今回の新作のゴジラがどうなるかだ。渡辺謙は昔、熊井啓と組んで「海と毒薬」をとっていたので、ゴジラの視点もしっかり見ているようだ。とにかく新作は3Dで見なくては!シニア料金で。

  • #797

    高根英博 (日曜日, 06 7月 2014 23:15)

    「人間実践における客観的法則性の意識適応」という武谷の技術の定義を今でも覚えていて言える。私は学生時は現代科学・技術研究会いわゆる現科研にいた。武谷の文献を読んだ。今回、NHKで湯川秀樹と武谷三男を取り上げていた。湯川にしろ武谷にしろ、誠実だと思うがどうだろう。高木仁三郎と論争をしたと言うが、決定的に立場を分かつものだったのだろうか。今ある原発の総否定は、私は無理があると思う。あまりに現実に出来上がりすぎている。封印することはできない。つまり原発と付き合わなければならない。どう付き合うのか。どう付き合うのですか?加藤哲郎のように、簡単に原子力の平和利用自体が間違っていた、という結論で、武谷を否定して、それが何になるのか。武谷はテレビの対談で、日本が負けた時、もっと徹底的に負ければよかったと言っていた。ある意味、無責任な言辞だが、武谷ならではとその時思った。私なりの武谷解釈が必要のようだ。

  • #796

    高根英博 (土曜日, 05 7月 2014 12:50)

    Eテレで、湯川秀樹と武谷三男についての番組があるようだ。録画できそうです。武谷と原発については、加藤哲郎が批判していたと思う。しかし、武谷を本当に批判できるのかと私は思っている。それを確認したい。加藤哲郎が正しいか否かだ。最近気になっていたテーマだ。

  • #795

    高根英博 (木曜日, 03 7月 2014 14:55)

    NHKBSがゴジラを特集するみたい。時間があれば見て見たいが、
    ロードショーをみざるをえない。さて、どれだけ文明を破壊してくれるか、楽しみだ。NHKのはエンターテイメントゴジラの映画のラインナップだ。でもオリジナルゴジラのリマスターされたもののよう。どうリマスターするのか?リマスターといえば、レッドツェッペリンの初期3枚があらためて発売されるらしい、これも今さら、ともいえるが。

  • #794

    高根英博 (木曜日, 03 7月 2014 05:11)

    迷惑メールが入って来て、消すのがたいへんなので、コード入力を設定しました。めんどくさ。最近、山中貞雄と小津安二郎についてページ作成。それぞれ南京虐殺と731部隊の近いところにいたことの提起。これが作れて、ホッとしています。

  • #793

    高根英博 (木曜日, 03 7月 2014 04:55)

    コード入力必要です。

  • #792

    高根英博 (木曜日, 03 7月 2014 04:52)

    どうかな?

  • #791

    高根英博 (木曜日, 03 7月 2014 04:47)

    おくれるかな?

  • #790

    高根英博 (月曜日, 09 6月 2014 21:09)

    熊楠はロンドン時代がよかったと思います。お金がなくなって、夢破れて実家のある和歌山に戻ります。でも、そこでの考察はロンドン時代ほどではないと思います。環境が悪すぎました。また和歌山でもお金に苦労します。孫文にも会えないくらい、日本では抜け殻です。南方マンダラともてはやしすぎです。水木のロンドン時代の描き方は優秀でした。メチャ汚い部屋の話とか。そこへ孫文も行っていて、汚さにこだわっていなくて友情を築いているのはすごいことです。孫文は熊楠のすごさを見抜いていました。ということは孫文もすごかったということです。孫文はロンドンで死にかけています。起死回生を経験しています。

  • #789

    義積弘幸 (月曜日, 09 6月 2014 17:13)

    二冊目『南方熊楠の見た夢ーパサージュに立つ者』について。書評家は見出しに『「境なき男」の柔らかな肖像」と書いている。これも大著のようだ。
     しかし、私は南方熊楠の生涯については、水木しげるが、11冊の参考文献によって描いた『猫楠』しか知らない。その最後に水木は中沢新一との対談で「生と死、陰と陽、見える世界と見えない世界の間に何があるのか。アカデミックな学問では説明できない分野を探究した稀代の学者ですね」と言っている。そのマンガは、そんな尊敬と愛情に満ちたマンガ(マンガと言ってもバカにするなかれ)であった。
     さて、書評に移るがまず「熊楠とは本当に一人の人間では、ないのではないのか」と言っている。小林秀雄は『本居宣長』を書く前に、「彼を、実証主義者と狂信家に分けて論じる。しかし、人間が二人で生きて行けますか!」と、それまでの宣長論を批判している。もちろん、水木も、きちんと一人の人間として、きちんと描いている。
     それを象徴するように、著者は「パサージュ(通路)に立つ者」と名づけていると言う。そこで着目したのは「夢」であると言う。夢を採集した、夢を熊楠の「現実として扱うのである。正しいと思う。」と書評家も言う。「この世につなぎとめる手段であった」とも言う。そして「彼自身が恐れながらも発症をまぬがれた統合失調症を愛息の熊弥が発症してしまう悲しみには、胸を突かれる」と言う。そして、この本には「かってなく〈等身大〉の熊楠がいる」とも言っている。
     確かに息子・熊弥は、精神を病む。その悲しみは、水木も、きちんと描いている。しかし、この本の中に〈等身大〉の熊楠がいるとは、書評を読む限り、信じられない。水木が描いた「熊楠」像とは、スケールが、あまりにも小さすぎる。熊楠とは、この程度の人物だったのか。熊楠の「夢分析」もなされていない。「夢」が彼の何を語ったというのであろうか。

  • #788

    義積弘幸 (月曜日, 09 6月 2014 16:04)

    今日は、新聞の休刊日である。だから、高根さんがふれていた『素顔の孫文―国父になった大ぼら吹き』と『南方熊楠の見た夢―パサージュに立つ者』の二冊の書評について書く。まず、二冊とも4000円を越えているから、いずれも大著なのだろう。
     まず、前著については、国父と言われる孫文の『素顔』と言うことで、今までの孫文像とかなり違った孫文像を提示している。実際、その本を読んでいないから書評に書かれていることを信じるしかないのだが、徹底的に、これまでの孫文像を壊している本のように思える。この種の神格化(国父)されてきた人物を批判する本は、よくあるパターンである。毛沢東批判も同様である。書評も、その線で書かれている。本に書かれた通りをトレースしているのだろう。火に油を注いでいるとも言える。
     しかし、書評家の知っている孫文との比較・批判は何もない。書かれた通りを紹介しているだけである。ほとんどは孫文批判で、最後に少し「孫文がいなかったら今の中国は一体・・という疑問はどうしても湧く」と孫文の存在の大きさを評価しているように見える。
     けれども、孫文が何故、国父と呼ばれるようになったのかについては、まったく書かれていない。「謎だ」の一言だけである。ただ「他人の作った政権の上にチョコンと乗っかっただけ〈らしい〉」。書評家が書いているのは、それだけである。孫文の説いた「三民主義」は、日本へのメッセージでもあった。それについても書かれていない。孫文のみならず「辛亥革命」は中国の歴史上、重要な意味を持っている。しかし、この革命における孫文の役割についてもまったく書かれていない。とすれば、この書は「偶像」を引きづり降ろしただけの本なのか。私は、読んで益のある書物とは思えない。